美人演歌歌手の石原 詢子(いしはら じゅんこ)さん。
演歌に全く興味のない方でも、お名前くらいは耳にされたことはあるのではないでしょうか。
「せんねん灸」のCM出演で有名ですよね。
私は元々演歌には興味がなかったのです。
石原詢子さんの歌がきっかけで演歌に関心を持ったと言っても過言ではありません。
石原詢子さんの歌に関心を持ったのは『しあわせの花』『よりそい草』という楽曲がきっかけでした。
石原詢子さんのファンとしては未熟者かも知れませんが、どうかお許しいただきたいと思います。
この記事では、石原詢子さんに関する以下の情報を見ていきたいと思います。
- 石原詢子さんってどんな人?
- 石原詢子さんは結婚して旦那はいるの?
- 石原詢子さんの歌の魅力とは?
この記事が、もっと多くの方に石原詢子さんのファンになっていただけるきっかけとなるなら幸せに思います。
それでは始めていきましょう!
石原詢子さんってどんな人?
石原詢子さんのこれまでの経歴を簡単に見ていきましょう。
石原詢子さんは1968(昭和43)年1月12日(金)の申(さる)年に生まれました。
生年月日の細かいことまで調べてしまいましたが・・・(笑)
本名は「石原 悦子(いしはら えつこ)」で、「石原 詢子」は芸名だそうです。
身長は161cmで、血液型はA型です。
岐阜県揖斐郡池田町の出身で、2007年には地元・岐阜県「飛騨・美濃観光大使」に就任しました。
誕生から歌手デビューまで
石原詢子さんは詩吟揖水流(いすいりゅう)家元の長女に生まれました。
4歳からお父様の意向で詩吟を習い始めるのですが、遊ぶ暇もないくらい厳しい練習の毎日だったそうです。
小学校6年生くらいには、なんと・・・師範代となったそうです。
本当にスゴいですよね。
並大抵の努力で出来ることではないと思います。
しかし、いつの日か・・・
このままでは自由な時間はなくなってしまうのではないか・・・
そんな不安から、石原詢子さんは徐々に詩吟を続けることに疑問を持つようになります。
そんなある日、お母様のファンでもあった石川さゆりさんの歌う『津軽海峡冬景色』をテレビで目にし、歌手への夢を抱くようになります。
お父様を説得しますが、許してもらえません。
やがて・・・
「自活すること」
「新聞配達をすること」
「毎日実家に電話をすること」
この3つをやり遂げることを条件に、石原詢子さんは単身上京することとなります。
夢の実現のためには決して信念を曲げない石原詢子さん。
本当に芯の強い人ですね。
そして・・・
1988年10月21日に『ホレました』で念願の歌手デビューする機会が訪れます。
歌手デビューからブレイクまで
歌手デビューから数年間はヒット曲に恵まれず、試行錯誤の日々が続きます。
1992年に発表した『雨の居酒屋』という曲は石原詢子さんにとってブレイクの兆しとなったそうです。
1994年に発表した『三日月情話』が第27回日本作詩大賞優秀作品賞を受賞し、翌1995年には『夕霧海峡』がヒットした石原詢子さんなのですが、この頃にご両親を相次いで亡くすことになります。
しかし、石原詢子さんはこの耐え難くて辛い現実を逆に力に変えて、歌手として生きていく決意を新たにしたそうです。
「もう帰るところがなくなってしまった、と思ったら、私の中でスイッチが入ったというか……」
「絶対に帰るものか、という気持ちはあったものの、なかなかうだつが上がらない。このままやっていて私の将来はひらけるのかな、と不安になるときがあって、でも、ダメだったら親元に帰れば父が待っている、という甘えがあったんですね。両親を亡くして帰る場所を失ったときに、この世界で絶対に生きていくしかないとスイッチが入りました。覚悟を決めたことで気持ちも変わりました。これは大きかったと思います」
坂本真子の『音楽魂』石原詢子さんインタビューより引用
1998年からNHK「コメディーお江戸でござる」に出演し、知名度が上がっていきます。
1999年に発表した『みれん酒』は約40万枚の大ヒット!この曲は石原詢子さんの代表作となりました。
翌2000年には悲願のNHK紅白歌合戦に初出場!!!
2003年には『ふたり傘』で二度目のNHK紅白歌合戦出場を果たしました。
石原詢子さんの学歴は?
そんな石原詢子さんの出身中学校・高等学校等は何処だったのでしょうか。
石原詢子さんの学歴は公式には発表されていません。
出身中学校は岐阜県揖斐郡池田町立池田中学校で、出身高等学校は岐阜県立揖斐高等学校だそうです。
ただ・・・
前述のとおり、幼い頃から詩吟の練習に打ち込んできたので、あまり勉強する余裕はなかったかも知れませんね。
石原詢子さんは結婚しているの?
そんな石原詢子さんは結婚されているのでしょうか?
結論から言いますが、
石原詢子さんに結婚歴はなく、旦那さんもお子さんもおられないそうです。
これほどの美人で才能の持ち主なのに、信じられないですが・・・。
石原詢子さんに結婚願望がないのかも知れませんが、ひょっとしたら世の男性があまりの高嶺の花なので声を掛けられなかったのかもしれませんね。
確かに・・・
もし私が石原詢子さんの身近な存在であったとしても声なんて掛けられないですけどね(^_^;)
かつて石原詢子さんは、好きな男性のタイプとして「優しくて何事も一生懸命な人」で、芸能人なら西田敏行さんと話されていたそうです。
余談ですが・・・
2024年10月17日に西田敏行さんがお亡くなりになりましたね。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
石原詢子さんの楽曲について
石原詢子さんと言えば、”しあわせ演歌”ですよね。
大ヒット曲である『みれん酒』や『ふたり傘』などが真っ先に思い浮かぶのではないでしょうか。
石原詢子さんの楽曲は演歌なのですが、俗に言う「ド演歌」ではなく、耳に優しい演歌と言うのでしょうか・・・。
石原詢子さんの透明感あふれる綺麗な声とメロディーラインがマッチして、本当に優しく感じるのです。
デビュー当時、”演歌アイドル” として売り出していた石原詢子さんにとっては、デビュー曲の『ホレました』は本当に歌いたい曲ではなかったそうです。
しかし、今聞いても決して色褪せることのない、何かすごく元気を与えてくれるような曲です。
石原詢子さんは今でも大切に、この曲を歌ってくださっています。
石原詢子さんは、演歌だけでなく様々なジャンルの曲を歌いこなせる素晴らしい歌い手でもあります。
2011年に発表した『逢いたい、今すぐあなたに・・・。』
この曲は石原詢子さんの切ない想いが詰まった哀しい楽曲でした。
私はこの曲を聞いた時の衝撃を今でも忘れられません。
ちなみに・・・
この曲は石原詢子さんが「いとう富士子」というペンネームで、作詞をされています。
2018年に中野サンプラザで行われた「デビュー30周年の記念コンサート」では、石原詢子さんは美しい白のドレス姿で、かねてから練習されていたというピアノの弾き語りでこの曲を披露してくださいました。
このコンサートはDVD化されていますので、ご覧になった方も多いかも知れませんね。
2021年に発表した『ただそばにいてくれて』は石原詢子さんの新たな一面を感じられる壮大かつ美しい楽曲となりました。
シンガーソングライターの古内東子さんが作詞作曲しています。
心が純粋になると言いますか・・・
本当に感動する楽曲です。
是非、聞いていただきたいと思います。
2023年5月24日には『五島椿』という”しあわせ演歌”を発表した石原詢子さん。
作詞作曲を石原詢子さんご本人が手掛けられています。
これも本当に素敵な曲ですね。
2023年10月21日(土)にはデビュー35周年を迎え、この日にはYouTube生配信をしてくれた石原詢子さんでした。
そして・・・
2024年7月10日(水)に待望の新曲が発売されました!
曲名は
『風花岬』(かざはなみさき)
です。
この曲も石原詢子さんご本人が作詞作曲されています。
皆さんも一度聞いて、石原詢子さんの歌の世界を感じて欲しいと思います。
『風花岬』のヒットを祈願して、石原詢子さんをますます応援していきましょう!
石原詢子さんの歌声を聞いていると心が癒やされるよね♪
石原詢子さんの歌声って透明感溢れて素敵よね♪
石原詢子さんについてのまとめ
いかがでしたか?
石原詢子さんのこれまでの人生の軌跡を簡単に振り返ってきました。
並々ならぬ努力で、現在まで歌手として一線で活躍している石原詢子さん。
50代にはとても見えないほど美しくて可愛らしい石原詢子さん。
現在、石原詢子さんは結婚していないようですが、
石原詢子さんには幸せになって欲しいと思います。
そして、これからも歌のジャンルを問わず素敵な歌声を聞かせて欲しいですね。
今後も石原詢子さんを応援していきたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
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